【摂津市の歴史】摂津市別府にある味府神社

摂津市別府の番田川沿いにあります味府(あじふ)神社。

 

味府神社

 味府神社  境内

 

ちなみにもう一つの味生(あじふ)神社は一津屋にあります。

 

由緒書きによりますと、孝徳天皇が難波に都を定めた時には鯵生(あじふ)という社号だったそうです。

延元年間 今の味府の文字に改めました。

往時は味府浜を船着場として賑わっていたとあります。

 

 

社殿は荘厳を極めていましたが、長岡遷都をきっかけに、延暦四年(785年)、御祭神を分かちます。

天照皇大神を当別府の地に、若一王子を一津屋に移築しました。

 

御祭神

 

境内社  八幡神社 境内社  八幡神社

 

小学生の頃に味府神社のお祭りによく行っていました。

やっぱり目当ては屋台でした。

 

特に印象的だったのは「東京コロッケ」

親指の爪の大きさくらいのコロッケを串に刺していきます。

 

なんと、串に刺すのはお客さん自らです。

だからみんな必死!

9個くらい刺すのが限界だったかな?

 

手前味噌ではありますが、味府神社での思い出ですw

 

大木

 

大晦日から元旦にかけては、お参りにくる人達で長蛇の列になります。

 

焚き火で体を温めてから帰るという工程でした。

 

あ〜、今年ももうすぐその日が来ますね。

 

 由緒

 

味府神社 由緒略記

当神社は元、鯵生の宮と称し約千三百数拾年前、孝徳天皇が難波に都を定めし時の鯵生の離宮に始まり、白雉元年正月 孝徳天皇の行幸あり賀正を観す、と言う (日本書記・社記)。御祭神は天照大神・若一王子・八幡大神を奉斉し、社殿は荘厳を極めたりしが、長岡遷都に伴い、延暦四年(785年)、神崎川を通じる 際し(大日本史・国郡志)御祭神を分かちてこの地に移築さる。天照皇大神を当別府の地に、若一王子を一津屋に、八幡大神を新在家<に移し奉りて三社 をなす。当神社はその根元にして、後に春日大神・菅原大神を配祀して三座となる。当初は鯵生の社号なりしが、延元年間 今の味府の文字に改めたりと言う。 往時、境内は大樹うっそうと生い茂り、裏添いの大川は今の味府浜を船着場として賑わい神社大いに栄え、狩野法眼の描ける社景屏風、その他宝什器幾多ありし が、明治23年社殿と共に灰燼に帰す。翌24年先の社殿再建され、以後百数年経過、老朽化激しく、平成4年現在の社殿、末社、社務所を建設し、在近郷崇敬 者の信仰益々篤くなり現在に至る。

案内板より

 

味府神社はここ↓

 

 《つよし》

2015/12/12 20:00 2019/01/30 13:38
つよし

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