【摂津市】木下勘兵衛の石碑を見に行きました。「摂津市の歴史」

ご無沙汰してました【摂津市の歴史】です。
今回は摂津市三島にあります木下勘兵衛の石碑を見に行きました。木下官兵衛石碑

木下勘兵衛のお話をする前に、馬場崎 右衛門正義(以後正義)のお話をする必要があります。
正義は明善寺(三島2丁目)の4代目であり、武勇・知謀に優れ、本願寺側の軍師として活躍した人だと言われています。織田信長が、本願寺との和睦が成立した天正8年の夏に、本願寺の教如の檄文に呼応した正義を討伐するために、3千騎を明善寺のある味舌に向かわせました。それを知った正義は、止々呂美村(箕面市)に逃げ延びたのですが、そこで家臣であるの木下勘兵衛が、正義の身代わりとなって戦い、討ち死にしたと言われています。後に難を逃れた正義は味舌に戻ります。これらを知った本願寺の教如は、木下家に本尊を贈ったそうです。

平成8年に、「木下勘兵衛討ち死にの由来」を記した石碑と五輪塔を建立しました。

因みに教如は、本願寺が東西に分裂する原因となった人物として知られています。

場所はこの辺り↓

2022/04/09 19:00 2022/04/09 22:17
つよし

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