【摂津市の歴史】千里丘にある薬師如来を本尊とする金剛院
金剛院は奈良の大仏(東大寺)建立時の実質的な責任者と云われている僧の行基が、味舌上村に建立しました。
寺伝によりますと、天平10(738)年、ひとりの老翁が遊歴の行基に珍菓を供しながら、「この地は霊地なり。一寺の建立を乞う」と言って消え去ったそうです。
行基は薬師如来を刻んで本尊となし、放光山味舌寺(ほうこうさんましたじ)と名付けました。
さてさて、、、
平安時代の末期にはこの地に盗賊がよく現れていました。
官軍が劣勢になって、「もはやこれまで・・・」という時に、村人たちが本尊の薬師如来に祈念したところ、盗賊が来た時に蜂の群が突如現れて、退治したそうなのです。
そして、その戦死した蜂を供養するために「蜂塚」が作られました。
※Wikipediaより
これにより寺名は蜂熊山蜂前寺金剛院(はちくまやまぶぜんじこんごういん)となったのです。
金剛院の護摩堂は30年に一度開帳(公開)されるのですが、2014年の開帳は見送られていました。
老朽と地震による被害個所がたくさんあったためです。
しかし、翌年2015年4月10日に、文化財の不動明王立像が、府・市・文化財愛好会・ふるさと摂津案内人の方々の協力によって開帳されることになりました。
※摂津市教育委員会生涯学習課
バスで行く!摂津市歴史探訪文化財ガイドより
では金剛院内をまわります。
稲荷神社
金剛院はここ⇣
《つよし》