【摂津市の歴史】摂津国(せっつのくに)は摂津市だけではありません。謂(いわ)れを調べてみました。

前回の【摂津市の歴史】では摂津市の成り立ちについてのお話をしました。

今回は摂津国(せっつのくに)についてお伝えします。

 

摂津国は、大阪府北中部の大半と、兵庫県南東部を指します。

 

摂津国Wikipediaより画像

 

摂津峡は高槻市にありますが、高槻市も摂津国内ということです。

 

では、どうして「摂津」と呼ぶのでしょう。

 

それは古代大阪湾に存在した、淀川・大和川との結節点に難波津(なにわつ)という港湾施設がありました。

その難波津のことを津国(つのくに)と呼んでいたそうです。

 

593年、聖徳太子は難波に四天王寺を造立。
645年、孝徳天皇は難波に遷都し、大化の改新を。
652年、難波宮(古代宮殿)が完成。

 

孝徳天皇の後、都はまたもや飛鳥に戻りました。

しかし、壬申の乱に勝利した天武天皇は、難波宮を副都とし、国司を置く代わりに、津国を摂(管掌)する機関として摂津職(せっつしき)を置いたのです。(いわゆるポストみたいなもの)

726年、聖武天皇が後期難波宮の造営に着手し、平城京の副都としました。

桓武朝に入り、長岡京遷都に伴って難波宮が解体されました。

これで副都の実は失われたため、793年3月9日に摂津職を廃し、新たに摂津国を置きました。

 

前身の摂津職から引き継いで「摂」の字を冠し、元の津国の読みである「つのくに」で「せっつのくに」です。
(※これには他の説もあるそうです。)

 

う〜ん、ご理解いただけましたでしょうか?

 

とにかく、摂津国はかなり広域で、その中に摂津市があるのですっ!

 

《つよし》

つよし

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