【摂津市の歴史】織田信長の甥が造営した味舌天満宮
摂津市の住民ならほぼ知っている「味舌」という文字。
これは「ました」と呼びます。
実はこの味舌天満宮、織田信長の甥が造営したそうなんです。
織田大和守尚長(おだやまとのかみ なおなが)です。
案内看板によりますと、
尚長は、織田信長の弟である長益(ながます)・(有楽斎:うらくさい/茶道有楽流の祖)の五男で、味舌(ました:現在の正雀三丁目付近)で産まれた。
とあります。
織田長益の息子は摂津市正雀出身だったのですね〜
参道入り口の石柱は梅の紋章です。
鳥居の奥に何か見えます。
なんと松の木が参道に被るように立っています。
拝殿です。
左奥に階段が見えます。
この階段を昇りきると川に出るのですが、そのまま「人」専用の橋があります。
本殿裏にはお稲荷様
入り口の松の木付近には八幡神社があります。
ここは車や電車でも少し行きづらいところに位置しています。
歩いて町並みを楽しみながら、一人で行くのはおすすめですよ。
味舌天満宮はここ↓
[map]大阪府摂津市三島3-9-3[/map]
《つよし》