【摂津市】三島町から摂津市になった経緯が学べる「せっつ郷土史セミナー」
摂津郷土史研究会が主催する「せっつ郷土史セミナー」のお知らせです。
今回の内容は、「摂津市の誕生」です。三島町から摂津市になった経緯を講師であり、元摂津市職員でもある茗荷さんにお話を伺い、まとめてみました。
昭和40年(1965年)10月1日の国勢調査で、三島町の人口が43,479人に達し、市制施行に必要な基準を満たしていることが明らかになりました。町の約77%が市街地を形成し、住民の95%が都市的職業に従事していたため、衛星都市としての条件も整っていました。こうした状況の中、住民の要望を受け、三島町発足10周年となる昭和41年(1966年)秋を目標に市制施行の準備が本格化しました。
新市の名称を決めるため、昭和41年4月に町内外から公募を実施。全国から1,233通の応募があり、1位「千里丘市」、2位「摂津市」、3位「淀川市」などが候補に挙がりました。市名審議会での投票の結果、最終的に「三島野市」が選ばれましたが、一部住民や企業から強い反対意見が寄せられました。三宅商工連合会をはじめとする38の企業が陳情書を提出するなど反対運動が広がる中、町長が「摂津市」を選択。
昭和41年8月27日の臨時町議会で「三島町を市とする件」が満場一致で議決され、新市名を「摂津市」とすることが報告・了承されました。その後、市制施行に向けた準備が進められ、昭和41年11月1日に正式に「摂津市」が誕生しました。
市名審議会の投票では「三島野市」であったのに、強い反対意見が起こったのはどうしてでしょうか? 摂津国と呼ばれていた歴史の話も踏まえて、興味深いお話が聞けそうです。
ところ:摂津市立コミュニティプラザ2階 会議室5
内 容:「摂津市の誕生」
講 師:茗荷充幸
参加費:500円(歴史指標設置資金)
お問い合わせ:上記チラシの連絡先を参照してください。
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