【摂津市】「阪急京都線は昔 新京阪と呼ばれていた」【せっつ郷土史セミナー】

摂津郷土史研究会が主催する「せっつ郷土史セミナー」のお知らせです。

チラシ

今回の内容は、「阪急京都本線は昔 新京阪と呼ばれていた」です。講師の茗荷さんにお話を伺いました内容を以下にまとめました。

京阪電鉄は、淀川左岸の路線がカーブが多く速度面で課題があったため、淀川右岸に新たな鉄道建設を計画し、大正11年に新京阪鉄道を設立しました。北大阪電気鉄道を買収し路線を拡大、昭和3年には天神橋~高槻町~西院間が開通し、京阪間を結ぶ3本目の鉄道として注目されました。この際、正雀に車輛整備工場が設置され、高性能な車両と高速運行を支える重要な役割を担いました。さらに、昭和6年には西院~大宮間を開通させ、京都都心への乗り入れも実現しました。

阪急電車

戦時中の昭和18年、京阪電鉄と阪神急行電鉄が陸運調整法により合併され、「京阪神急行電鉄」となります。しかし、戦後、京阪出身の役員は再分離を求め、昭和24年に京阪本線や宇治線を中心に京阪電鉄が復活しました。一方、新京阪線は阪急側に残され、その発展に寄与しました。この背景には、阪急側の路線網拡大の戦略と、新京阪線の経済的重要性がありました。

阪急電鉄工場

阪急電鉄工場

現在、新京阪線は阪急京都線として運行されていますが、正雀の車輛整備工場はその歴史を支え続けています。

 

2300系

2019年2月21日摂津市駅にて撮影

摂津郷土史研究会より提供

とき:令和6年12月11日(水)19:00~20:30
ところ:摂津市立コミュニティプラザ2階 会議室5
内 容:「阪急京都線は昔 新京阪と呼ばれていた」
講 師:茗荷充幸
参加費:500円(歴史指標設置資金)
お問い合わせ:上記チラシの連絡先を参照してください。

せっつ郷土史セミナー会場の摂津市立コミュニティプラザはこちら↓

つよし

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