摂津市と茨木市の境界にある水の神を祀る井於神社

井於神社は、摂津市と茨木市の境界に位置しています。住所は茨木市です。

 

井於神社 鳥居

 

お隣の旧三宅小学校は摂津市です。

 

 

参道

鳥居をくぐると、奥に薬医門があります。

これは廃寺となった常楽寺の一宇の門を移建したものだとか。

 

 

井於神社は「いおじんじゃ」と呼びますが、

もともと、井於の読みは、「イノヘ」又は「イノベ」と読み、「井の上」・「井の辺」を意味します。

 

近所の「宇野辺」は訛ってできた言葉でしょうか?

 

アクセスはJR千里丘駅から徒歩7分ですが、道が細く入り組んでいるので、はじめて行かれる方は少々難しいかも?

 

 

祭神は、素盞鳴命・天児屋根命・菅原道真
(スサノヲ・アメノコヤネ・スガワラノミチザネ)

 

 

三所明神

 

江戸時代には三所明神と呼ばれていました。

 

しかし、井於神社のホームページによりますと、

当社は元々三宅村宇野辺に鎮座し、「井於連」が氏神として崇敬した井の神(水・泉の神)で、 三宅郷の田畑の灌漑用水を守らせ給う神として、篤い信仰が捧げられておりました。その昔、雨が降らず干魃になると氏子の若衆が藁で龍を作り、雨乞いの祈願 を行なった後、龍を担いで村中を練り歩き、池中に投じることで水の神の恩恵に感謝していたと伝えられています。

とのこと。

 

著名な神を勧請したがために、本来の祭神が脇に追いやられてしまうという事例は結構多いそうです。

 

 

素盞鳴命(スサノヲノミコト)は、織田信長の頃、社が兵火で焼かれるのを免れるために、信長公が崇敬していた素盞鳴命をあえて祀ったという説があります。

 

しかし、これも不明とされています。

 

江戸時代までは牛頭天皇(ゴズテンノウ)が祭神だったのが、明治の神仏分離の時に素盞鳴命とした説があるからです。

 

 

天児屋根命(アメノコヤネノミコト)は、三宅城城主だった三宅出羽守国村が春日大社から勧請したものだと言われています。

 

菅原道真公(スガワラノミチザネコウ)は、学問の神として一般に浸透したのは江戸時代ですので、後世の勧請ですね。

 

 

 

拝殿
拝殿

 

 

 

【末社】

八幡神社
八幡神社

 

 大国神社
大国神社

 

厳島神社
厳島神社

 

皇大神社
皇大神社  撮り忘れ(涙)
(井於神社ホームページより)

 

 

水神社
水神社
祭神:波爾彌須比古大神(はにやすひこ)・美都波能売大神(みずはのめ)

 

井於神社にお参りに来られる方は、末社にある水神社の存在も忘れないでくださいね〜

 

 

 

 

井於神社はここ↓

 

 

 《つよし》

つよし

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